放送局型第123号受信機末期型(角型)の修復

 外観
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 性能・品質が良くて廉価なラジオの実現の為、放送協会(NHK)が定めた123号ラジオは、戦時が始まって内部が簡略化された「後期型」にマイナーチェンジされましたが、昭和19年になって戦況がいよいよ悪化してくると、更なる節約が求められ、二度目のマイナーチェンジが行われました。内部は既に前回のマイナーチェンジで、限界まで節約・合理化されていましたので、今回はキャビネットが簡略化されました。それまでの前面に曲面を使ったレトロで優美なデザインから、製造し易いけれど、単純で飾り気の欠片もない角型に変更されてしまいました。詳しいデザインの違いは、下の「三種類の123号」欄をご覧下さい。この角型タイプは、昭和19年〜20年に生産されていますが、20年製は各社合わせても僅か1100台ですので、今回のラジオは昭和19年製だと思われます。
 今回の「末期型」は早川電機(現在のシャープ)製で、シャープは現在までに早川金属工業(株)→早川電機(株)→シャープ(株)と社名を変更しています。
 では詳しくご紹介します。ピンク色の部分は修復前、水色の部分は修復後の様子です。
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123号後期
01:123号(角型)外観                     
 中学生の技術科工作品の様な単純明解なデザインが特徴です。標準十号でも同様ですが、「左半分がスピーカー、右半分がダイヤルと操作つまみ」と言うデザインは、昭和10年代〜20年代半ばまでの標準的なデザインで、右利きの人が操作するのに最も自然で合理的です。正面の3つのツマミは、真ん中のダイヤル窓が「同調(選局)」、左が「再生(正帰還量を調節して感度調整する)」、右が「音量」で、これを三角形に配置するのも、終戦頃までの標準的なデザインです。電源スイッチは123号当初の設計では、音量調整に「スイッチ付きボリウム」を使う予定でしたが、当時の日本の製造技術では不良品が多く、間もなく左の側面にスイッチだけ独立して取り付けられる様になりました。このラジオではスイッチが交換されていて、その際つまみは在り合わせの物を使ったらしく、昭和30年代頃の白い物が取り付けられています。
 鉄の塊であるトランスを使っていないので、大きさの割に軽いラジオです。

修復後外観
02:修復後の外観
 
キャビネット(箱)は、四隅の接合部の接着剤が剥がれて、放っておくといずれバラバラになってしまうかも知れないので、まず木工部分を修理しました。塗装は大きな剥がれやキズが無かったので、洗剤で汚れを落した後、透明のツヤ消しニスを軽く塗りました。従って見た目はそれ程変わってはいません。
 スピーカーグリルの布は勿論張り替えました。標準10号に使った物と同じで、織模様があり金色で、グリル専用の布です。側面の電源スイッチは、この製品では本来はトグルタイプ(レバーを上下させるタイプ)でしたが、壊れてしまったらしく、回転式に交換されていました。出来れば当時に似たトグルタイプスイッチに交換したかったのですが、現時点では適した物が見当たらなったので、つまみだけを黒くて小さい物に代えて、回転式をそのまま使ってます。他社の123号の中には最初から回転式を採用している物もあります。但し最初から回転式の物は、ちゃんと円形にデザインされたカバーの付いた物が使われています。

123号全部
03:三種類の123号
 
上から「前期型(正規型)」「末期型(角型)」「後期型(戦時許容型)」です。前期→後期では、デザイン上では同調ダイヤルの位置が変わり、内部は一層の合理化と資材節約の為、大幅に仕様変更されました。後期→末期では主にキャビネットデザインの簡略化で、内部は後期と同じままです。製造は後期形が一番多く、前期がそれに次ぎ、太平洋戦争の戦況悪化で末期形は僅かです。
 写真の製品は、前期型がタイガー電機(現存せず。ブランド名は「コンサートン」)製、末期型が早川電機(ブランド名「シャープ」)製、後期型が日本蓄音器商会(ブランド名「コロムビア」)製ですが、統一規格ですので、同じ時期では各社同じ物を製造しています。
 末期型は修復途中でスピーカーを取り外し中ですので、向う側が透けて見えてます。前期型は修復未着手で、写真の段階では一番下の後期型しか鳴りませんでしたが、勿論現在では三台とも修復が終って鳴る様になってます。
 この様に積み上げているのは、写真を撮る為だけで、普段から積み上げている訳ではありません。

123号内部
04:内部
 大きなスピーカーが右半分を占めていて、真空管や部品のあるシャーシーは左に寄せて小さくまとまっています。この写真では、修復に備えてシャーシーを取り出す為に、スピーカーやそのすぐ右の電源スイッチへの配線は既に切ってあります。
 電源スイッチは接点がむき出しの物で、今ではちょっと考えられませんが、当時では最も一般的に使われていたタイプで、左右どちらに回してもよく、90度毎にON、OFF、
ON、OFFを繰り返します。
背面
05:修復後の内部
 
内部は電線類が新しく綺麗になりましたが、見た限りではほとんど同じです。スピーカーのボイスコイルは、最初は切れている様に見えましたが、実際には切れておらず、巻き直しの必要はありませんでした。上の写真では配線されていなかったスピーカーやスイッチも、当然配線されています。シャーシーだけを引き出して調整する際に都合がいい様に、スピーカーとスイッチへのコードは長めになってます。
123号真空管
06:使用真空管
 123号ラジオは真空管を4本使った「4球ラジオ」ですが、それ以外に電圧調整用電球の「安定抵抗管」も使われているので、合計5本の球があります。左から高周波増幅用12Y-R1(ジュウニワイアールワン、本来は12Y-V1を使わなくてはいけないので、後で交換しました)、再生検波用12Y-R1、電力増幅用12Z-P1(ジュウニゼットピーワン)、両波倍電圧整流用24Z-K2(ニジュウヨンゼットケーツー)、そして安定抵抗管B-37(ビーサンジュウナナ)です。真空管の寿命は5000〜10000時間位ですが、左から2番目の12Y-R1とB-37はおそらくこのラジオが製造・出荷された時のままの物です。
 修復後に実際に稼動させてみますと、この12Y-R1は新品に比べて感度が悪く、通電開始後20分間位はブーンと言うハム雑音がかなり大きく出ます。20分位経つと、ハム音は気にならないレベルに低下します。感度は低いままですが、通常の使用にはまだ耐えられそうです。高周波増幅は装着されてた
12Y-R1を使うと、音量調整が出来ないので、本来の12Y-V1に交換しました。電力増幅の12Z-P1と整流管の24Z-K2は、戦後の高品質の物で、全く問題ありません。製造時のままの安定抵抗管B-37も、問題ありませんでした。

追記:その後このB-37は残念ながら切れてしまいましたので、交換しました。

123号シャーシ(球付き)
07:シャーシ(真空管装着時)
 真ん中奥の大きな部品は2連バリコン、左端の細長い角形の物は紙ケースの集合電解コンデンサー(ケミコン)です。
 手前左が高周波増幅管で、以下反時計回りに整流管、安定抵抗管、出力管、検波管の順序で並んでいます。信号を一旦左端の高周波増幅管に入れた後、次の検波管は対角線の最遠に置かれているのは、「信号の流れに従って真空管を配置する」と言う基本セオリーに、一見大きく反する様に見えますが、実際に配線してみると、干渉しやすい高周波増幅管と検波管を離し、尚かつ検波管とバリコンは直近と言う、実に合理的な配置である事が判ります。
 高周波増幅管と検波管は、帽子形のシールドケースを被せる必要があります。この写真では奥の検波管のみ被せて、手前左の高周波増幅管は、トップ電極を見せる為に外していますが、使用する時は被せます。

123号シャーシ(球なし)
08:シャーシ(真空管取り外し)
 真空管を外すと、バリコンやコイル、紙箱ケミコンの様子が良く判ります。コンデンサーの横に立っている円筒形の物が同調コイルです。もう一つの検波コイルは、干渉を防ぐ為にシャーシ内部に取り付けられています。トランス・レス方式の為、通常の真空管方式では必須の大きな電源トランスが無く、すっきりした配置になっています。ケミコンは液漏れして膨らんでいます。
 シャーシ右上のコーナーが斜めにカットされているのは、キャビネットに納めた時に、スピーカーにぶつかってしまうので、その為の「逃げ」です。

シャーシ
09:修復後のシャーシ
 
シャーシは一旦全ての部品を取り外して、銀色に塗り直していますので、部品配置は全く同じでもかなり綺麗になっています。
 左端と右奥の真空管には、帽子形のシールドケースが被さっています。これは金属で出来たカバーで、アース(シャーシ)に繋がっています。この中に入力電極(グリッド)があり、このシールドケースを外すと、「ピギャーーーー」と激しい発振音や、「ブ−ーーン」というハム雑音を発します。
 左端から出ている2本の線は、アンテナ線(白)とアース線(黒)で、通常はアンテナ線を室内の高い所(例えば柱の洋服掛けやカーテンレール等)に引っ掛けます。金属製のサッシの窓枠に繋ぐと、かなり良く聞こえる様になります。アースは当時は水道管に繋ぐのが手軽でした。アンテナとアースの両方を繋ぐのが理想ですが、大抵の場合はどちらか一方だけで十分だった様です。(アンテナ線をアースの水道管に繋ぐのが、回路の構成上、一番手軽で良く聴こえた様です)

123号ダイヤル板
10:ダイヤルパネル
 半透明の弾力のあるプラスチック製(塩ビ?)で、裏側から豆電球で照らす透過式です。表示は現在の周波数表示ではなくて、1〜100の100分割表示です。目盛り用のグリーンの帯と数字を門の字型に配置して、ラインと帯のコーナーに丸みを持たせているデザインが、限られた範囲で目一杯の「モダン感」を主張しています。そして「放送局型第123號受信機」と、機種名が誇らしげに書かれています。尚この頃のラジオの受信周波数は、現在より少し狭い550KHz〜1500KHzです。
 末期の123号は
直接バリコンの軸を回す「直結」式で、選局の微調整がやり難い筈ですが、このラジオのバリコンには、同軸形減速機構が内蔵されていて、使い勝手はとても良好です。
裸動作
11:ダイヤルパネルと中身だけでテスト中
 復元がほぼ終ってテスト中の時の様子です。 
 ダイヤル照明の豆電球は、本来は3V100mAの物で、これは現在では入手不可能です。代りに3V130mAと言う物を見付けて取り寄せました。本来の物より少しだけ暗い計算ですが、実用上は十分です。ダイヤルパネル盤は当時のプラスチック製造の制約からか、ほとんどの場合写真の様な黄色っぽい色で、これを照らす豆球の色と、ダイヤル窓のセルロイドの色も、どれもすべて黄色っぽく、結果的にダイヤルの印象は、オレンジ色の温かなイメージとなります。

ダイヤル軸
12:バリコン軸に減速機構内蔵?
 当初、ダイヤルは減速機構の無い「バリコン軸直結」だと思っていたのですが、後日調整の為に色々触っていると、偶然にも、バリコン自体に減速機構が内蔵されているらしい事が判りました。
 軸はツマミに繋がっている細い中軸が、バリコンに繋がっている太い外軸の中に挿入されている「二軸構成」になっています。この2本の軸は何故か半田で固定されていましたが、偶然その半田付けが剥がれてしまいました。すると、つまみを回すとダイヤルがゆっくり追従します! どうやらつまみ2回転半で、ダイヤルが0〜100の180度(半回転)回転の、減速比5:1の減速機構が内蔵されているらしいです。
 その様なメカニズムが、どこにどういう仕掛けで収められているのか、そしてその機能が何故半田付けで封じられていたのか、今の所全く判りませんが、たぶんバリコンの前側の軸受け部分に、何らかの工夫が施されている様に思います。
 減速機構が復活して、ダイヤルを放送局に合わせるのは、格段にやり易くなりました。

123号シャーシ内
13:シャーシ内部
 プリント基板で配線される現在の機器と異なり、真空管時代の配線は部品を直接半田付けで結線して行われています。抵抗器やコンデンサーは現在の物に比べて3倍〜5倍以上の大きさで、抵抗器はこの大きさでやっと1Wクラスです。結合用コンデンサーは絶縁物に紙を使ったペーパーコンデンサーと雲母を使ったマイカコンデンサーが使われています。
 シャーシの内部には、右に紙箱ケミコン、中央上部に検波コイルが取り付けられ、CR(コンデンサーと抵抗器)類は整然と配置されていて、配線も上手く、さすが現在まで一流メーカーの地位を維持しているシャープの、面目躍如たるものがあります。
 写真の上の方が前面になります。検波コイル下の逆L字状に配された黄色いコンデンサーと、その左の赤いコンデンサーは、修理の際に交換された他社製品ですが、それ以外は部品一個一個に「sharp」の社名が入っていて、戦争末期の物資不足と慌ただしい時代から想像される「粗製乱造」とは違って、メーカーの矜持を保っています。モノ作りに力を注ぐ日本の電機産業の姿勢は、この時代から既に確立されていた事が判ります。
 上部に出ている2本の軸は右が音量調整のボリウム、左が再生調整の豆バリコンです。写真では見えませんが、左側面にはヒューズが2本(正負両方)付いています。ボリウムは抵抗値が回路と違う物が使われていたので、修理で交換された様です。
 123号は、電源の100Vからトランスを使わずに200V以上の直流を得る、「全波倍電圧整流」と言うマジック(笑)の様な電源回路を採用しています。この回路を採用した場合、GNDとなるシャーシやそれに取り付けられている金属部品は、地面との間に常に(コンセントの向きを逆にしても)100Vの電位差となり、触れると感電してしまいます。その為キャビネットの外に活電部分が僅かでも露出しない様に、十分な感電防止対策が施されています。
要するに、内部と繋がった金属部分が、表面に現れない様にすると言う事です。
 しかし設計思想は優れていても、現実には部品の品質が現在程高くなくて、部品や真空管に無理が掛る全波倍電圧整流やトランス・レス方式の為、故障は多かった様で、しかも修理の際にも感電の危険性があるので、修理屋からは敬遠された様です。今回のこのラジオもバリコンの精度が甘く、補強材を取り付けて、やっと安定した受信が出来る様になりました。
シャーシだけ
14:シャーシ単体
 
修復はまずシャーシから全ての部品を取り外し、シャーシの錆びや汚れを落した後、元と同じ銀色に塗りました。当初は一部の部品と配線を残そうと思ったのですが、そうすると錆や汚れを完全に落す事が出来ませんし、配線もコードが古くて信頼性に欠けるので、結局全て取り外す事にしました。シャーシは塗り直したので、古くて汚いラジオの修理ではなく、新しいラジオを作っている様な快適さです。
抵抗器
15:抵抗器
 
抵抗器は14個の内5つはそのまま使えましたが、後の11個は交換が必要でした。当時の抵抗器はL形と言う形で、今の抵抗器の5倍以上の大きさです。ですので今の抵抗器をそのまま使うと、余りにもスマート過ぎて、見た目に違和感が大きくなってしまいます。そこで今の小さな抵抗器をベークライトの管に入れ、すずメッキ線を巻き付けて足にして、ペイントで塗り固めて外見だけはL形の抵抗器を作りました。
コンデンサー
16:コンデンサー
 
コンデンサーは使用する場所によって雲母を使った「マイカコンデンサー」、紙を使った「ペーパーコンデンサー」、電解液を染み込ませて大容量にした「電解コンデンサー」の3種類が使われています。
 3個のマイカコンデンサーは、3つとも使えましたが、8つのペーパーコンデンサーと2つの紙箱に納められていた5つの電解コンデンサーは全滅でした。
 電解コンデンサーは紙箱の中に今の小型化(10分の1以下のサイズになってます)された物を詰めました。ペーパーコンデンサーは、紙で同じサイズの筒を作って中に現在の物を入れ、外の紙筒に本物から剥がしたラベルを貼り、更に本物っぽくロウを塗りました。
 こうして部品は、外見上当時と同じ物で全てが揃いました。

 
途中
17:配線の途中
 
せっかく抵抗器やコンデンサーを、外見が当時とそっくりな物を作ったので、配線も現代のビニール線を使うのは避けました。
 すずメッキの銅線に、当時から現代まで引き続き使われている「エンパイアチューブ」という、ニス塗り絶縁チューブを被せて配線しました。写真で赤や緑や黄色のビニール配線に見えるのが、そのエンパイアチューブ配線です。但しスピーカーやスイッチ、パイロットランプに行く電線は、軟らかくて動きがとれる線の必要があるので、これはビニール電線を使いましたが、布巻きっぽいチューブを被せてあります。(上の「修復後の内部」の写真をご覧下さい)
 真ん中のコイルの左右に在る中継端子は、圧縮紙製の元からの物です。右端の大きな長方体が、紙箱入り電解コンデンサーで、シャーシの上面にもう一つあります。その紙箱コンデンサーのすぐ左上に、ぴかぴかの新品に交換した音量調整ボリウムが見えてます。
 このボリウムには高周波増幅管12Y-V1のカソード電流(=プレート電流+第2グリッド電流)が流れますので、直径30mmの通常よりW数の大きい物を使っています。本来ならCカーブ(抵抗値が回し始めに大きく変化し、段々緩やかな変化になる)を使うべきなのですが、Cカーブのボリウムは特殊品で入手出来ません。やむなくBカーブ(抵抗値が回転角度に比例して変化する)を使っています。その為、音量調整は初めは回しても余り音が大きくならず、右に回すに連れて急に大きくなる感じになります。尚普通のラジオやアンプの音量調整にはAカーブ(Cの反対で、最初は緩やかに変化し、終り頃に大きく変化する)が使われます。これは人間の耳にはその方が自然な変化に聞こえるからです。
 先にもご説明しました様に、金属部分は触れると感電してしまうので、4箇所の足は硬いプラスチック製で、キャビネットに収めた時の留めネジは、このプラスチック足にネジ留めされる様に工夫されています。(通常は単にキャビネットの底から、シャーシに直にネジ留めするだけです。もし123号でこういう通常の留め方だと、例えば「通電中のラジオを聴きながら、ちょっとだけ場所を移動させようと、底に手を添えて持ち上げよう」とした途端に「ビリビリ!うぎゃー!」となってしまいます) 同じトランスレス方式でも、戦後の昭和30〜40年代のラジオは、ここまで徹底した感電対策は施されていません。初めてトランスレス方式を採用するにあたって、設計者が安全対策に万全を期した事が解ります。

内部
18:配線完了
 
5つ上の修復前の「シャーシ内部」と比べてみて下さい。上の写真には、後に修理で追加された赤と黄色のコンデンサーが有りますが、そのコンデンサーはこちらでは本来の紙箱に収まっています。それ以外は基本的に同一ですが、配線材が細くなっている分、すっきりした感じになりました。尚、厳密には真空管に無理な電圧が掛からない様に、配線を一部変更していて、それに伴って左端の縦に付けられたコンデンサーの位置も、少し下に移動しています。
マグネチックスピーカー
19:スピーカー
 この時代のスピーカーは、現在のダイナミック・スピーカーではなく、マグネチック・スピーカーと言う方式です。ここでは以前に修復した同じくシャープの「標準10号」のスピーカーをお見せします。123号のスピーカーもこれと全く同じです。
 このスピーカーのフレームは、銀色に塗ってるのでちょっと見た位では判りませんが何と!紙製です。硫黄を染み込ませて固めた紙で、とても軽くて丈夫で、指で押した位では全く変型する事はありませんし、鉄に付き物の錆が出る事もありません。勿論戦時中で鉄を節約する必要性から紙製になったのですが、とても成功したアイデアだと思います。但し音質上の問題はあるかも知れません。

コイル部アップ
20:スピーカーのコイル部分
 ダイナミック・スピーカーはコイルそのものが動きますが、マグネチック・スピーカーはコイルの中心部の可動鉄芯が動きます。その動きは針金で振動片に伝えられ、更に別の針金でコーン紙に伝えられます。音質は硬い感じで高音も低音も出ませんが、人の声を再生するには不都合は無く、ニュースやトーク番組には適していると言えます。更に能率も良い様で、123号の音声出力は僅か0.3Wですが、ボリウムを上げなくてもガンガン大きな音で鳴ります。
 又、ダイナミックではインピーダンス整合の為に、出力管との間に出力トランスを必要としますが、マグネチックスピーカーの場合は直結出来るので、ここでもトランスを省く事が出来ます。

123号動作中
21:動作中の123号
 動作中の123号です。以前載せていたコロムビア製の123号と基本的に同じです。コーナーの部分に立っている安定抵抗管B-37のフィラメントが、オレンジ色に光っているのが判ると思います。
 123号は真空管式ラジオの最終世代の「5球スーパー」に比べると、感度も音質も1ランク劣りますが、それでも当時「山間部や僻地でも聞こえる事」を目標に設計された機種ですので、京都市で昼間は大阪と京都と兵庫の民放全局とNHKが受信出来、現在でも家庭での据え置きとして使うには、実用上十分な性能です。

123号回路図
22:回路図
 前回の123号修復の時に書き起した手書き回路図です。倍電圧整流の電源部以外は、戦後の「高一(高周波一段増幅)ラジオ」と全く同じです。
 簡単に説明しますと、左端のコイルとバリコンで同調した後、12Y-V1で高周波増幅します。12Y-V1は可変増幅率管ですので、カソード電圧をVRで変えてゲイン調整をし、これが事実上の音量調整となります。音量調整をこんな前の方で行うのは、過大な入力で歪むのを防ぐ為です。その後もう一度コイルとバリコンの同調回路を経て、12Y-R1でグリッド再生検波を行います。プレートからコイル(P)に戻る回路が再生回路で、検波後にも幾分残っている高周波分をコイルに戻し、もう一度12Y-R1を通す「正帰還」で、これがあると非常に感度が高くなります。
 但しグリッド再生検波は音質が犠牲になり、現代の高音質に慣れた耳には、音楽番組を聴く場合不満足感を感じます。と言っても小さなポータブルラジオなんかよりはずっといい音です。
 検波され取り出された音声信号は12Z-P1で電力増幅され、スピーカーを鳴らします。
電源整流は24Z-K2による倍電圧整流で、コンデンサーを2階建てにして、トランスを使わずに200V近いB電圧を得ています。
 真空管のヒーター電圧は、型番が示す様に12V、12V、12V、24Vで、これを全部直列に繋いで60V、残りの40Vの内の37Vを安定抵抗管B-37が受け持ち、後の3Vはパイロットランプで、これで全部で丁度100Vになります。安定抵抗管は、見た目には単なる「大きくてうす暗い電球」ですが、ヒーター電圧の差の37Vを受け持つ以外に、電源電圧が変動しても、電流を一定にする事が出来る「定電流素子」でもあります。
 尚、回路図と実物では、若干の違いがあります。

銘板
23:銘板
 銘板は紙製で裏蓋に貼られていますが、かなり破損しています。アルミ板でシャーシに取付けられていた標準十号に比べると、相当な簡素化がされています。
注意書き 24:裏蓋の注意書き
 通電中に裏蓋を開けて内部の金属部分に触れると感電してしまうので、それに対する注意書きです。「裏蓋を開ける時は電源プラグを抜く様に」「使わないアース線をキャビネットの中に入れない様に」と言った注意書きの様ですが、印刷が薄くなってしまってて、ほとんど読めません。
田村さん
25:田村さん
 裏蓋の内側に書かれていました。たぶん元の持ち主のお名前です。「田村さーん、ラジオ直りましたよ。取りに来て下さーい」(笑)
シャープ123号の動画
26:放送を受信中のシャープ123号の動画です。(You Tube)
実況中継
(高校野球の校歌シーン)

 123号は回路は十分な研究と経験が積まれて磨きが掛かり、性能的には、感度・音質・使い勝手共、完成の域に達しています。製造の合理性は徹底していて、組立や配線は、とてもやり易い構造になっていますし、発振などのトラブルの可能性も、最少になる様に考えられています。この経験は戦後の日本製電化製品の大発展に、大いに役立ったものと思います。しかし戦争末期で材質は粗末で最小限で、特にキャビネットやシャーシの作りは、8〜9年前に製造されたヨクナル号に比べると雲泥の差があります。

 以上でこのシャープ製「
放送局型第123號受信機」のご紹介は終りです。ご質問や更なる詳細をお知りになりたい場合は、下記本サイト「雪乃町公園」の掲示板にお書き込み下さいませ。
(管理人「うつりぎ ゆき」)

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