この123号受信機の正式名称は「放送局型第百二十三號受信機」と言います。「放送局型」とは、性能・品質が良くて廉価なラジオを普及させる為に、放送協会(NHK)が定めた方式のラジオ受信機で、戦時中は更に資材を最小限に抑える為に、鉄の塊であるトランスを省略した「トランス・レス方式」の回路が定められました。生産性の向上と効率化の為に、デザインも各社統一され、全メーカーが同じ物を製造しました。 戦時中の機種は、3球式で再生検波→電力増幅・倍電圧整流の「並三ラジオ」の122号と、4球式で高周波増幅→再生検波→電力増幅・倍電圧整流の「高一ラジオ」の123号の2種類があります。122号が最小限の性能しかなくて、都市部でしか使い物にならなかったのに比べて、123号は性能が良くて、50万台以上生産されたそうです。 123号は後に合理化と簡略化の為に、二度マイナーチェンジされていますが、今回修復した物は最初の型で、前面に曲面を使った優美なデザインと、「資材を最小限」と言っても、まだまだ品質本位で比較的贅沢に資材を使用した内部が特徴です。123号の詳しいデザインの違いは、下の「三種類の123号」欄をご覧下さい。この初期型タイプは、昭和15年〜17年に生産されていますが、今回のラジオは昭和16年叉は17年製だと思われます。 今回修復したのは大阪のタイガー電機製で、ブランド名は「CONCERTONE」(コンサートン)です。「コンサートの音」と言う様なイメージのネーミングですが、タイガー電機は後に「戸根無線」と社名を変更していますので、経営者の名前「戸根」と「TONE(トーン)」を掛けて織り込んだ、巧みなネーミングです。戸根無線は大平洋戦争の終結まで生き残りましたが、戦後に過剰な設備投資で行き詰まって、高度成長時代を迎える前の昭和25年に倒産してしまいました。 では詳しくご紹介します。ピンク色の部分は修復前、クリーム色の部分は修復中、水色の部分が修復後です。 写真はクリックすると大きくなります。 |
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1-01:入手時の外観 置かれていた場所の条件が良かったらしく、塗装の色あせは少なく、大きなキズや破損は見当たりません。しかし擦ったり物がぶつかったりして出来る小さなキズは、多数ありました。スピーカーグリルの布(サランネット)も汚れてはいるものの、原形を留めていますし、ダイヤル窓も中が見える状態です。 3つの操作つまみは、外れていますがちゃんと揃っていました。 |
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1-02:内部 修復の為にシャーシは取り出した後の姿で、大きなスピーカーと側面のスイッチだけが残っています。 |
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1-03:シャーシ(前から見る) 初期型の特徴であるシールドケース群が目を引きます。2本にはコイルが、細い2本には真空管が入っています。右奥のケースの蓋は外して、横のケースの上に置かれてます。 |
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1-04:シャーシ(後ろから見る) シールドケースの大きさが目立ちます。タイガー電機製ラジオのシャーシの特徴である、浅くて脚のついたシャーシの構造が見えます。タイガー電機製の123号のシャーシは、統一規格とは少し違っていて、面積が少し大きいですし、真空管やコイルの配置も少し異なっています。当初は各メーカーに厳格に規格通りを求めていたのですが、次第にメーカーの効率や手持ち資材の活用等、融通性が優先される様になったと思われます。 |
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1-05:シャーシ(真空管取り外し) 真空管と、ネジ留めされていない真空管シールドケースを外すと、タイガー製のシャーシのもう一つの特徴である、茶色い塗装がよく判ります。これも、規格では銀色ですが、たぶんタイガーでは茶色の塗料を大量に保有していて、それを使用した方が経済的だったのでしょう。 このアングルから見ると、ダイヤル盤が目立って見えます。 シャーシ左下のコーナーが斜めにカットされているのは、キャビネットに納めた時に、スピーカーにぶつかってしまうので、その為の「逃げ」です。 |
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1-06:シャーシ内部 シャーシ内は何度か修理の跡がありました。最も目立つ修理跡は、本来の紙箱電解コンデンサーが撤去され、交換品として、右端と中央に金属ケースの電解コンデンサーが取り付けられている点です。しかし取り付けネジ穴の向きが合わない為、細い針金だけで取り付けられていて、それが完全に外れてだらんと垂れ下がっている状態でした。上右の音量調整ボリウムも本来の値の物ではなく、一度交換されている様です。勿論これも錆びていて使える状態ではありません。他にも幾つかのコンデンサーや抵抗器が交換されています。 度重なる交換の為か、それとも製造時の職工さんが未熟だった為か、このラジオの半田付けは余り上手くなく、半田が中まで届いていなかったり、外れてしまっている箇所がありました。恐らく何度修理してもすぐまた故障する「外れ」なラジオだったと思います。それでも所有者は、このラジオをかなり長く使っていた様です。 |
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1-07:解体と修復に備えてのラベル付け シャーシ内を写真と絵で記録した後、部品を全て取り外します。その際に、コイルからの引き出し線は、どれがどこに繋がっていたのかを、ラベルで印付けておかないと、後で苦労する事になります。部品店で売っている部品と違って、メーカー製品に使われている部品は、そのメーカーの人が組み立てる時にだけ判ればいいので、印や表記がありません。 |
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2-01:キャビネットの補修 キャビネットの状態は割と良いので、塗装はヨクナル号の時の様な全面塗り直しではなく、補修に留めます。 かなりの箇所にわたる小さいキズは、家具用のクレヨン状の補修ペイントで塗って目立たなくし、その上から全体を、透明の水性つや有りニススプレーで塗りました。これでキズは大分目立たなくなり、塗装もツヤが出て、新しく塗った様な印象です。まだら模様に見えるのは、木漏れ日の陰です。 塗装にはコメリで売っているカンペパピオのスプレーニス類を使っています。 |
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2-02:シャーシの塗り直し(表) タイガー製のシャーシは、前述の様に茶色く塗られています。錆びが出ている箇所もあるので、一旦塗装を剥がして、同じ様な茶色のスプレーで塗り直します。少し厚めに塗ったので、トランスレスの123号の欠点である、シャーシに触れただけで感電する事は、ほとんどなくなりました。 |
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2-03:シャーシの塗り直し(内側) 表は個性的な茶色のタイガーのシャーシですが、内側は普通の銀色ですので、銀色に塗ります。これで70年前のラジオとは思えない程綺麗になりました。 向う側が青く見えているのは光線の具合で、実際は全て銀色です。 |
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2-04:シールドケースの塗装 シールドケースは、鉄製の真空管用ケースの一部に、めっきが剥げて小さな錆が発生していましたので、銀色に塗りました。一方コイル用の方はアルミ製でしたので、錆の心配は無く、当初はそのまま使用するつもりでしたが、塗り直した真空管用と隣合わせになると、見た目に劣りましたので、後でこれも同じ様に銀色に塗りました。 この真空管用シールドケースは、リング状の受け金と、本体、上部の蓋と言う3つの部分から成り、コストの掛かっている品です。後期型以降で使われている帽子形に比べると、たぶん数倍のコストと金属量だと思います。 |
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2-05:ダイヤル機構 ダイヤルのメカニズム機構です。これは前回のヨクナル号と全く同じ仕組で、操作つまみ軸の小さな円盤で、バリコン(チューニング用の部品)に繋がったプラスチック製の大きな円盤を回します。つまみ2回転でバリコンが半周回りますので、減速比は4:1と言う事になります。 ダイヤル盤は黄色っぽいプラスチック製ですが、相当汚れが付着していて、洗剤で拭いてもなかなか落ちませんでした。写真では取り外していますが、当然中心の軸に指針が付きます。 |
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2-06:ダイヤル機構の裏側 裏側はこうなっています。下の円盤は、2枚の金属円盤が上のプラスチック板を挟む形になっています。上円盤の軸の部分にバリコンの軸を接続します。下の操作軸は磨耗しているのか、ガタが大きいです。 当然の事ですが、この仕組みだと、操作軸の回転方向とダイヤルの回転方向は逆になります。慣れれば問題ありませんが、ダイヤル軸に減速機構を採用して同軸にした、後期型の操作性の良さに比べると、感覚的に一段劣ります。 |
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2-07:使用真空管 123号ラジオは真空管を4本使った「4球ラジオ」ですが、それ以外に電圧調整用電球の「安定抵抗管」も使われているので、合計5本の球があります。左から高周波増幅用五極管12Y-V1(ジュウニワイブイワン)、再生検波用五極管12Y-R1(ジュウニワイアールワン)、電力増幅用五極管12Z-P1(ジュウニゼットピーワン)、両波倍電圧整流用双二極管24Z-K2(ニジュウヨンゼットケーツー)、そして安定抵抗管B-37(ビーサンジュウナナ)です。入手時には12Y-V1の所にも12Y-R1が装着されていました。これでも鳴らない事はありませんが、音量調整がほとんど出来ない(ボリウムを回しても全然音が大きくならず、ある点を過ぎるといきなり大音量になる)ので、手持ちのJRC諏訪無線製の新品12Y-V1と交換しました。 残りの最初から装着されてた12Y-R1はTVC東京真空管工業(後に東芝と合併)、12Z-P1がマツダ(東芝のブランド名)、24Z-K2がTVC、B-37がマツダ製です。代用で使われてた12Y-R1もマツダ製で、真空管トップメーカーの東芝系で統一されていました。どれも製造時の物ではなく、品質が向上した昭和20年代後半以降に製造された、品質優良な球です。これはこのラジオが20年代後半以降にも使われていた事を意味し、特に24Z-K2の頂部はかなり焼けているので、長く使われていた事が判ります。 修復後に実際に稼動させてみますと、さすがに優良な品質の球ですので、感度が良くノイズも皆無で、非常に良好な動作をします。 |
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2-08:真空管のソケットを交 一般的に使われる真空管のソケットは、薄いベークライト板で作られたウェハー型(左)、黒いしっかりしたベークライトで作られたモールド型(中)、白い陶器で作られたステアタイト型(右)の3種類ですが、メーカー製のラジオに使われるのは、コストが安いウェハー型がほとんどです。 この123号の5つのソケットの内、2つは破損していましたので、同じウェハー型の新しい物に交換しました。ちゃちなウェハー型は今ではほとんど見掛けなくなりましたので入手が難しく、高級なモールド型やステアタイト型より、かえって高くなっています。 |
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2-09:スイッチ スイッチはレバーを上下させるトグルスイッチです。「くの字」型の1回巻バネ(トーションばね)が折れてしまって使えませんでしたが、同じ様な形の現行品が無い為、ピアノ線でバネを作って修理しました。キャビネットへの取り付けが横着な方法でしたので、最初の物が壊れて、修理屋が交換した物だと思います。 |
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2-10:抵抗器 抵抗器は14本の内7本が、値が変わってしまったり切れたりして使えませんでした。現在の抵抗器は小型化されて外形も異なった形(P型抵抗器)ですので、それをベークライトの筒に入れペイントを塗り、この頃と同じ形の物(L型抵抗器)を作りました。 |
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2-11:コンデンサー チューブラーコンデンサー(両端からリード線が出ているタイプ)は、ペーパーコンデンサーが9本全部がダメに、マイカコンデンサーも2本中1本が焼けていました。これも上述の抵抗器と同様、現在の物を使って当時の姿にします。 ペーパーコンデンサーは、紙筒に入れてエポキシで両端を封じ、本物から剥がしたラベルをコピーして貼り、溶かしたロウを塗りました。マイカコンデンサーは、エポキシを四角く形取り、茶色く塗りました。 |
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2-12:紙箱入りの集合電解コンデンサー この頃の特徴的ラジオ部品の代表格の、紙箱入りの電解コンデンサーです。200Vもの電圧が掛かる電解コンデンサーの中身を、段ボールで巻いて紙箱に入れただけの、現代の感覚からは考えられない危うさです。 この123号の紙箱コンデンサーは、過去の修理の際に撤去されていましたので、今回は最初から作る必要がありました。紙箱は薄い段ボール紙で同じ寸法で作り、中に小型になった現在の電解コンデンサーを入れ、別のラジオに使われていたコンデンサーの紙箱をカラーコピーして貼り、古い感じを出しました。それに上述のペーパーコンデンサーの時と同様に、溶かしたロウを塗りました。 左に写っているのは、ボリウムの延長軸です。そのまま使うとキャビネットの軸穴にぶつかってしまうので、だいぶ削りました。 |
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2-13:スピーカー スピーカーは現代のダイナミックスピーカーではなく、マグネチックスピーカーです。これは高音も低音も出ませんが、人間の声の音域は効率よく再生しますので、ニュースやトーク番組は聴き取り易く適しています。フレームは鉄資源節約の為に、硫黄で固めた紙製で錆の心配は皆無です。 当時のマグネチックスピーカーのコイルは、線材の品質の悪さからよく断線した様で、このスピーカーの赤いコイルも、断線して交換されたみたいで、他の部分より綺麗です。 |
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2-14:スピーカーバッフル板とサランネット スピーカーは直接キャビネットに取り付けるのではなく、バッフル板と呼ばれる板に取り付け、それをキャビネットに取り付ける方法です。サランネットは、元からの物が比較的良く残っていましたが、洗おうとしたらボロボロに崩壊してしまいましたので、いつもの織模様入りの金色の専用布に貼り替えました。この布はキャビネット側に貼り付けてもよいのですが、将来の補修の際に扱い易い様に、バッフル板の方に貼りました。 |
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2-15:部品の修復・復刻の完了 これで個々の部品の修復や復刻が終りましたので、次からはいよいよ配線に取り掛かります。その前にシャーシに大物部品を載せての仮組を行ってみました。ここまで来ると、ラジオの完成時の姿が想像出来る様になります! |
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3-01:部品の取り付け シャーシに全ての部品を取り付けます。真空管のソケットは、シールドケースのある球はビス留め、それ以外はリベット留めでしたが、リベット留めは専用の機械が無いと無理ですので、ハトメ留めにしました。メーカー製品はハトメ留めが多いです。5つの立型ラグ端子も元からの物です。トランスレス方式で感電の危険があるので、ネジを受ける脚には、プラスチック製の下駄が取り付けられています。 この写真では、左端で既に一部の配線(緑色)が行われています。 |
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3-02:ヒーターとパイロットランプが点灯 配線は真空管のヒーターとパイロットランプのみを先に行い、それが終った時点で電源を入れてみます。ここで問題が無い事を確認しておけば、全ての配線が終って間違いの有無をチェックする際に、既に確認済みのヒーターとパイロットランプの部分は省けます。 |
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3-03:配線 配線作業は、解体時に描き取った絵を元に実体図を描いて、それに従って進めます。そして配線や接続が一か所終る毎に、その実体図と回路図の両方をマーカーで塗りつぶしていきます。こうして間違いを防ぐ為に何重にもチェックを重ねながら、配線を進めます。 配線はビニール線を使わず、錫めっき銅線に「エンパイアチューブ」と言うカラーの絶縁チューブを被せて行います。こうする事で、配線をきちっと縦横直角に這わせる事が出来て、見た目が良いですし、シャーシに密着させて配線が出来ますので、ノイズを拾い難くする効果も期待出来ます。 |
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3-04:シャーシ内の配線完了 シャーシ内の配線が終った処です。配線や部品の配置は、基本的に元の配線と同じですが、縦横に整然と配置する事により、元より綺麗になりました。第1段階の「シャーシ内部」の写真と見比べてみて下さい。 配線の色分けは、JISの5色色別法に因ってますが、赤青黄黒白の色分けに対して、エンパイアチューブは赤緑黄黒の色しかありません。青の代りに緑を使い、白は黄色を白く塗りました。但し紙箱コンデンサーの引出し線は、区別をつける為に、色別法とは別になっています。 中央部やや右下の黒い菱形マークのコンデンサー(右赤帯・左黒帯の物)は、追加した10μFの電源ケミコンで、本来なら紙箱の中に収めるべき物ですが、この段階では最早不可能ですので、ペーパーコンデンサーと同じ様な形に作りました。 |
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3-05:上から見たところ シャーシの上の様子です。バリコン(ダイヤルに繋がっている中央の四角い部品)⇔コイル⇔真空管の接続の様子が見えます。コイル⇔真空管の電線と、中央のコイル(検波コイル)の上部に在る抵抗器とコンデンサーは、全く元のままです。この検波コイルとその右の真空管(検波管)を繋いでる電線は、このラジオの中で最もノイズを拾い易い部分で、1mmでも短い方がいいです。ここでは2つのシールドケースの中が殆どで、露出しているのは2cm程に留まっていて、部品配置が上手い設計です。 パイロットランプへのケーブルは、交流ノイズ(ハム)をまき散らさない様に、シールド線を使い、違和感の無い様にベージュ色に塗ってます。 |
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3-06:テスト中 配線が全て終ったら、間違いが無いか慎重にチェックした後、通電します。放送が聞こえたら、バリコン付属のトリマーで調整を行います。手前側(同調側)でダイヤル位置と放送局が合う様にし、奥側で最良の感度になる様に合わせますが、低い周波数と高い周波数で合うポイントが異なったりするので、なかなか一発では合いません。ここ京都では「神戸のラジオ関西(558kHz)と大阪のラジオ大阪(1314)が十分に受信出来る事」「地元の強力なKBS京都(1143)と、それに周波数の近い毎日放送(1179)が、きっちり分離して聞こえる事」を、調整の目安にしています。 この写真で、スピーカーのコーン紙が破れていて、紙を貼って補修した様子が判ると思います。 |
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3-07:キャビネットに収める シャーシをキャビネットに収めました。スピーカーやスイッチへの線は、柔らかさが必要ですので、ビニール線を使っていますが、これにベージュに塗ったガラス繊維チューブを被せて、昔の布巻線っぽくしてあります。 |
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3-08:ラジオの機能が完成 これで機能的な修復は終りました。 |
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3-09:回路図 キャビネットの底に貼られてた回路図です。昔の回路図の書き方は今と慣習が異なっていて、今の目で見るととても見辛い物も多いのですが、この回路図は現代とほとんど同じ書き方で、異なるのは、真空管のヒーターの記号「∧」形が、ここでは「∩」形になっている点だけです。このままでも十分実用になりますので、印刷が潰れて読み難い部分を赤文字で修正しておきました。 実際の修復でも、これとシャープの123号修復時の現代版を併用して進めました。回路の説明については、シャープ製123号のページと重複するので省きます。 右下の電源部のケミコン6μFは、当初10μFにして紙箱に仕込みましたが、それでも「ブーン」というハム音が残りましたので、10μFを追加して20μFとしました。これでハム音は無くなりました。 |
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4-01:つまみの修復 3つの操作つまみの内の1つは、サイズが少し大きく色も形も微妙に異なっているので、後に交換された物の様でした。よく見ると材質も異なっていて、重くて硬い白い物質製で、それを茶色に塗った物でした。剥げている箇所もあったので、塗り直す事にしました。 古い塗装を完全に剥がすと、何とこれは白い石製でした。もしかしたら碁石のメーカーとかが、加工したのかも知れません。黒い斑は、塗料が石の組織の細かい隙間に入り込んだらしく、いくら紙やすりで擦っても、これ以上は取れませんでした。 |
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4-02:つまみの完成 上記の白い石製のつまみを茶色く塗り、真ん中の同調(選局)軸に挿入しました。完全に同じ色のペイントが無かったので、他の2つと少し色が異なっていますが、実際は写真程の違いはありません。ミルクチョコレート色と、ブラックチョコレート色の様な色あいです。同じ色合いのペイントが手に入れば、塗り直したいと思います。キャビネットに擦ってキズが付かない様に、底面にはフェルト布を貼ってます。 つまみは普通は小さなネジで留めますが、軸にまで電気が来ているトランスレス方式の123号では、万一にもそのネジに指が触れない様に、軸穴に板バネを装着して、バネの圧力で留める様に工夫されています。 |
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4-03:機能表記文字 銘板3つのつまみの下には、それぞれ左:「再生」(感度調整)、中:「同調」(選局)、右:「音量」と、金色のレタリングで表記されていますが、「同調」はほとんど消えてしまい、「音量」も金色が褪せて黒くなっています。 |
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4-04:ダイヤル盤 ダイヤル盤は当時のラジオの定番の黄色っぽいプラスチック板で、裏から豆電球1灯で照らす透過式です。後期形と末期形には「放送局型第123号受信機」と表記されていますが、これには何も書かれてなく、100分割目盛りと「同調」とだけ書かれた、素っ気無いダイヤル盤です。 盤面はかなり汚れていて洗剤でも落ちませんでしたが、カッターの刃で汚れを削ぎ落して、ご覧の様にとても綺麗になりました。 残っていた豆電球は切れていませんでしたが、電圧が違う物の様でとても暗かったので、3V130mAの物を装着しました(写真は電源OFF時なので点灯していません) 本来の豆電球の規格は3V100mAですが、この規格の豆電球の入手は現在ではほぼ不可能です。 |
4-05:注意書き 123号は通電中に金属部分に触れると感電してしまいますので、その注意書きです。これは本来なら裏蓋の表側に貼るべきで、そうした製品もあった様ですが、ここでは中のシャーシ右の部分に貼られています。 |
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4-06:前面のスピーカー留めネジ頭 スピーカーの留めネジの頭は、キャビネットの前面に露出しています。こういう物は本来なら表に見えない様に、裏側から木ネジで留めるべきですが、キャビネットの板材が薄いので、こういう形になったのでしょう。普通のネジではなく、頭が模様になった「飾りネジ」が使われています。 |
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4-07:電源スイッチ 電源スイッチは左側面にあります。ON・OFFの表記(当時は日本語で「点・滅」)が無いので、横に所有者が記入したのか、●と■の印があります。 左下の青い印は、放送協会(NHK)の証紙です。 |
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4-08:裏蓋 裏蓋は失われていましたので、ネットでタイガー123号の写真を見付け、その写真から放熱スリット穴の寸法を割り出して、ベニア板で作りました。スリット位置や形は、結果的に既に持っている後期型や末期型の2台の物と、同じ物になりましたが、メーカーや時期によっては、全然違う形のスリットの蓋の製品もある様です。 |
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4-09:銘板 裏蓋が失われていましたので、当然それに付いている銘板も無く、同様にネットの写真から作りました。写真が若干上方から撮られていて、下の方が少し幅が狭くなっていますが、手持ちのフォトショップが古いバージョンで修正が出来なかったので、そのままプリントした物を薄いアルミ板に貼って、「それらしく」作りました。 |
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4-10:電源プラグ 電源プラグとコードは、当時と同じ丸形プラグと袋打ちコードです。プラグは元からの物ですが、70年前にしては綺麗過ぎるので、比較的最近(と言っても昭和30年代?)に交換された物だと思います。コードも使おうと思えば使えない事もない状態でしたが、だいぶ汚れていたので、新たに買った新しい袋打ちコードに交換しました。黒い袋打ちコードは、近年になって遂に製造中止になってしまいましたが、10mの買い置きがありますので、当分大丈夫です。 一緒に写っている白い細いコードはアンテナ線で、これを部屋の高い所に張らないと聞こえないのですが、この123号は感度良好で、地元局ならこのアンテナ線を束ねたままでも十分聞こえます。 |
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4-11:検査証 メーカーの検査証です。今と全く同じで、検査員の印鑑が押されています。これこそ日本のメーカーの衿持ちで、「QC」と書かれた紙切れが入っているだけの某国製品とは、大きな違いです! 銘板は失われていましたが、ここに「タイガー電機株式会社」と言う社名と、「Concertone Radio」と言うブランド名が残っていました。 機構検査をした大平さん、電気検査をした濱中さん、感度検査の印は薄くて読めませんが、総合確認の菊地さん・・ もし御存命なら90歳を超えていらっしゃると思います。皆さんの作ったラジオ、現役復帰して、元気に鳴っていますよーー! |
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4-12:野村さん? スイッチとは反対側の右側面に、所有者でしょうか?それとも寄贈者でしょうか?名前が墨書されています。右はちょっと判読出来ませんが、左は「野村」と書かれている様に思えます。「野村さーん、ラジオ直りましたよ。取りに来て下さーい(*^-^*) 」 |
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4-13:大公開? キャビネットの中に貼られてた新聞紙の切れ端です。何年何月か判りませんが、12日に何かが「大公開」される様です(笑) その下をよく見ると「独逸国防軍司令部指揮製作○ウフア」と、尻餅をついてる人物らしい絵が見えます。軍事物なのか、それともコメディなのか・・ 映画の広告の様です。 |
タイガー123号の動画 |
4-14:放送を受信中のタイガー123号の動画です。(You Tube) トーク |
これでこのタイガー電機製123号のご紹介は終りです。 123号は回路は十分な研究と経験が積まれて磨きが掛かり、性能的には、感度・音質・使い勝手共、完成の域に達しています。末期のシャープ製ではバリコンの作りの甘さに悩まされましたが、この初期型ではそういう問題もなく、想像以上の高性能なラジオでした。ただ、部品の耐久性に問題があった様で、製造当初は良くても購入後日時が経過すると、あちこち故障が頻発した様です。これは123号に限らず、それが当時の日本の国力で製造出来る、精一杯の限界だったのだと見るべきと思います。紙箱に入った電解コンデンサーや、活電部がむき出しの電源スイッチ、二点でしか留めてないスピーカー等々、現代の製品に比べるとあらゆる箇所で余裕がなく、ギリギリのレベルで作られている印象です。頭脳と技術を結集して作る試作や一点物では、最高レベルの物が作れても、量産するとなると、裾野の技術力や国力の乏しさが出てしまうのだと思います。 ご質問や更なる詳細をお知りになりたい場合は、下記本サイト「雪乃町公園」の掲示板にお書き込み下さいませ。 (管理人「うつりぎ ゆき」)
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